日本歴史地名大系 「部那村」の解説
部那村
べなむら
天竜川の東岸の段丘上で、北は
天正(一五七三―九二)の頃は福与とともに大島氏の領有下にあり、以後福与村とともに、脇坂氏・千村氏・宮崎氏・幕府領・知久氏・堀氏・知久氏・阿部氏・幕府領と支配の変遷がみられる(長野県町村誌)。
天正一九年の信州伊奈青表紙之縄帳には「一、弐百四拾四石八斗三升三合 辺那
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天竜川の東岸の段丘上で、北は
天正(一五七三―九二)の頃は福与とともに大島氏の領有下にあり、以後福与村とともに、脇坂氏・千村氏・宮崎氏・幕府領・知久氏・堀氏・知久氏・阿部氏・幕府領と支配の変遷がみられる(長野県町村誌)。
天正一九年の信州伊奈青表紙之縄帳には「一、弐百四拾四石八斗三升三合 辺那
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...