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酒井忠惇 さかい ただとし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

酒井忠惇 さかい-ただとし

1839-1907 幕末-明治時代の大名,華族。
天保(てんぽう)10年7月28日生まれ。酒井忠誨(ただのり)の4男。実兄酒井忠績(ただしげ)の養子となり,慶応3年播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主酒井家9代。同年老中。翌年鳥羽・伏見の戦いに敗れ,徳川慶喜(よしのぶ)とともに江戸に逃走,蟄居(ちっきょ)となった。のち男爵。明治40年11月10日死去。69歳。名は「ただとう」ともよむ。

酒井忠惇 さかい-ただとう

さかい-ただとし

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

酒井忠惇

没年:明治40.11.10(1907)
生年:天保10.7.28(1839.9.5)
幕末の姫路藩(兵庫県)藩主,老中。号は楽堂。父は忠誨,元治1(1864)年兄忠績の養子となり,慶応3(1867)年襲封した。同年老中上座となる。鳥羽・伏見の戦に際し,幕府軍に参加したものの大敗し,徳川慶喜に従って江戸に逃走した。同藩は備前藩兵の追討を受け家臣が開城し謝罪するに至った。その後老中を辞職,朝廷により官位を剥奪され,養子忠邦に家督を譲り蟄居した。その際,新政府に軍資金15万両を献上している。明治2(1869)年朝廷の許しを得て久能山東照宮宮司となり,22年には永世華族に班列され,男爵に叙せられた。<参考文献>『兵庫県史』5巻

(長井純市)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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