朝日日本歴史人物事典 「酒井忠惇」の解説
酒井忠惇
生年:天保10.7.28(1839.9.5)
幕末の姫路藩(兵庫県)藩主,老中。号は楽堂。父は忠誨,元治1(1864)年兄忠績の養子となり,慶応3(1867)年襲封した。同年老中上座となる。鳥羽・伏見の戦に際し,幕府軍に参加したものの大敗し,徳川慶喜に従って江戸に逃走した。同藩は備前藩兵の追討を受け家臣が開城し謝罪するに至った。その後老中を辞職,朝廷により官位を剥奪され,養子忠邦に家督を譲り蟄居した。その際,新政府に軍資金15万両を献上している。明治2(1869)年朝廷の許しを得て久能山東照宮宮司となり,22年には永世華族に班列され,男爵に叙せられた。<参考文献>『兵庫県史』5巻
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報