野崎浜
のざきはま
[現在地名]倉敷市児島味野
味野村・赤崎村の沖に築かれ、両村名を一字ずつとって野崎浜と名付けた。開発主の武左衛門もそれまでの昆陽野姓から野崎姓へと改姓した。また児島郡山田村(現玉野市)に東野崎浜が築かれてからは、元野崎浜とよんできた。文政九年(一八二六)一二月、武左衛門が開発願(野崎文書)を出し、翌年二月許可が下りたが、隣村小川村との間で悪水吐けで紛議が生じたため、着工は同年九月二八日に竜神祭を行って開始。同一一年八月には味野村沖新開の潮止が完成、翌年五月四日に初穂塩の焼立てが行われた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の野崎浜の言及
【当作歩方制】より
…幕末から明治期にかけて,備前児島半島の野崎浜(元野崎浜は倉敷市児島味野,東野崎浜は玉野市山田)でみられた特殊な地主小作制。野崎浜では1塩戸(1軒前)に3種類の当作人が存在し,それぞれ権利を意味する歩方が付与せられていた。…
※「野崎浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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