デジタル大辞泉
「倉敷市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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倉敷市
くらしきし
面積:二九八・九九平方キロ
県南の中央部やや西、南は瀬戸内海水島灘に面し、高梁川が中央部を南流する。南東部・南西部および北部に標高二五〇―三〇〇メートルの丘陵地が続くほか、市域の大半は平野部である。北部寄りを東西にJR山陽本線・山陽新幹線が通り、山陽本線南側に並行して国道二号が走り、北上する国道四二九号を分岐する。東は玉野市、児島郡灘崎町、岡山市、都窪郡早島町、北は岡山市、都窪郡山手村・清音村、浅口郡船穂町、吉備郡真備町、西は小田郡矢掛町、浅口郡金光町・鴨方町・寄島町と接する。
〔原始・古代〕
瀬戸内海の景勝地として親しまれている鷲羽山は、西日本で最初に確認された旧石器時代の遺跡所在地として著名である。旧石器時代の遺跡は竪場島・釜島・六口島など付近の島嶼や山稜を中心に濃密な分布をみせている。この地域は現在海に囲まれているが、遺跡の形成された時代には最終氷期の時期に生じた海水面低下のため陸化していたものと考えられている。後氷期以降の海水面上昇により現在の瀬戸内海が出現すると、縄文時代前期中頃には海岸線は市域北端に近い山麓に達し、市街地や水田地帯となっている平野部にまで海面が広がった。海岸線最奥部には西岡貝塚・中津貝塚などがあり、縄文海進とよばれるこの海進により小島となった地域の海岸には羽島貝塚などがみられる。ことに島となった児島の旧海岸線には、福田貝塚・船元貝塚・磯の森貝塚などの主要な貝塚群がある。これらの貝塚群が形成された地域はいずれも浅い海域に面した地域であり、その海域は中世から近世にかけて陸化し、あるいは干拓されていった地域である。
弥生時代初期の遺物は上東遺跡・福田貝塚・広江遺跡・沖縄手遺跡などにみられるが、中期以降になると、上東遺跡・酒津遺跡などの北部沿岸地域に広がる沖積地に大規模な集落遺跡が出現し、島となっていた児島では種松山遺跡・前山遺跡・仁伍遺跡・菰池遺跡など、山頂から丘陵上に立地した集落遺跡が広がっていた。弥生時代の青銅器では種松山山頂から出土した銅鐸、瑜伽山付近で発見された銅剣が知られている。弥生時代終末期の遺跡では楯築遺跡・向木見遺跡などから特殊器台を伴う埋葬遺跡が発見されて注目を集めた。古墳時代では海中の島に造られた前方後円墳である玉島八島の天王山古墳が注目されているが、ほかには顕著な古墳は形成されておらず、各地に小規模な古墳や古墳群が散在している。
「日本書紀」欽明紀によれば、児島に屯倉が設置されたとされている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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倉敷〔市〕
くらしき
岡山県南部,高梁川下流域の中核市。 1928年市制。 1944年中洲 (なかす) 町,1950年粒江 (つぶえ) 村,1951年菅生 (すごう) 村,帯江 (おびえ) 村,中庄 (なかしょう) 村の3村,1953年西阿知 (にしあち) 町,福田町,連島 (つらしま) 町の3町,1956年藤田町をそれぞれ編入。 1967年玉島市,児島市の両市と合体。 1971年庄 (しょう) 村,1972年茶屋町,2005年船穂町と真備町を編入。中心市街地はかつて阿知潟と呼ばれた内海の湾入部にあたるが,人工的な干拓,埋め立てによる陸化の部分が多い。近世初頭以来,備中,讃岐などの江戸幕府直轄地を支配する代官所が置かれ,以後,周辺農村の米と綿花の集散地となり,児島湾に注ぐ倉敷川の上流端には白壁の土蔵が立ち並んだ。 1881年岡山紡績所,1888年倉敷紡績が創設されたのが工業化の第一歩で繊維工業都市となる。 1955年頃から臨海の水島地区に石油精製,製鉄を基幹とする臨海工業地域 (→水島工業地域 ) が形成され,岡山県南新産業都市の中心地になった。西部の玉島は備中松山藩の外港として発展した港町で,高梁川とは高瀬通しと呼ばれる運河で連絡していた。児島半島の南西部にある港町下津井は瀬戸内海航路の港,金刀比羅宮への渡船場として繁栄。味野と琴浦は近世末期以来,綿と塩の集散地となり,現在は学生服,作業服の産地。農村部ではイネ,イグサのほかモモ,ブドウ,ミカンや野菜の栽培が盛ん。イグサを原料とする畳表と花莚 (→花むしろ ) の生産も盛んである。市域内には瀬戸内海国立公園に属する鷲羽山 (国指定名勝) ,六口島,王子ヶ岳のほか,大原美術館,民芸館,考古館,天文台などの文化施設がある。安養寺の木造毘沙門天立像,木造吉祥天立像,さらに遍照寺の三重塔,また旧大原家住宅や大橋家住宅はすべて国の重要文化財。六口島の象岩は国の天然記念物に指定。市域の一部は吉備史跡県立自然公園,吉備路風土記の丘県立自然公園に属する。山陽新幹線が通り,山陽自動車道と瀬戸中央自動車道の合流点にあたる。面積 355.63km2。人口 47万4592(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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