野村直隆(読み)のむら・なおたか

朝日日本歴史人物事典 「野村直隆」の解説

野村直隆

生年生没年不詳
戦国安土桃山時代武士。はじめ藤左衛門,のち肥後守,出家して肥後入道と称した。近江の出身で,浅井長政仕え,同じく長政に仕えていた島秀親や樋口直房とは相婿。近江国友城に拠り,鉄砲隊を率いて,元亀2(1571)年には信長方となった宮部継潤来襲を撃退している。のち信長に下り,次いで浅井氏滅亡後,豊臣秀吉に仕え,鉄砲頭に取りたてられ,国友城で2万石を与えられた。天正18(1590)年の小田原攻めには鉄砲隊を率いて従軍し,文禄の役には肥前名護屋城に駐屯した。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では西軍に属し,伏見城攻めの軍監を務めている。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野村直隆」の解説

野村直隆 のむら-なおたか

?-? 戦国-織豊時代武将
はじめ浅井長政に,のち豊臣秀吉につかえて鉄砲頭となり,近江(おうみ)(滋賀県)国友城で2万石をあたえられる。天正(てんしょう)18年(1590)の小田原攻めに参加し,関ケ原の戦いでは西軍に属した。近江出身。通称は藤左衛門,肥後守。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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