金地院拝領町屋敷(読み)こんちいんはいりようまちやしき

日本歴史地名大系 「金地院拝領町屋敷」の解説

金地院拝領町屋敷
こんちいんはいりようまちやしき

[現在地名]港区芝公園しばこうえん三丁目

金地院の西に位置する拝領町屋敷。金地院門前ともいう。片側町。北は高家武田家屋敷、西は奏者番豊後杵築藩松平家中屋敷・御霊屋御掃除おたまやおそうじ屋敷、東と南は金地院および同寺境内。もとは正徳三年(一七一三)より御霊屋御掃除屋敷が置かれていた地所であった。文久元年(一八六一)八月金地院の明地一千八〇〇坪を増上寺に与え、御霊屋御掃除屋敷のうち金地院境内続き二五〇坪を召上げて代地とした(藤岡屋日記・撰要永久録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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