金峯寺村(読み)こんぽうじむら

日本歴史地名大系 「金峯寺村」の解説

金峯寺村
こんぽうじむら

[現在地名]珠洲市宝立町金峯寺ほうりゆうまちこんぽうじ

鵜飼うかい村の西に位置する。村名は曹洞宗金峰こんぽう寺に由来し、天正一四年(一五八六)七月八日の年貢算用状(金峰寺文書)ただ郷内金峰寺とあり、同一三年分の高九四俵余のうち二〇俵は金峰寺分、荒二四俵、三ツ免引で定納三五俵余、そのうち一五俵は金納で、二俵余は免除となっている。元和六年(一六二〇)閏一二月の検地打渡状(同文書)では当高六一石余から金峰寺領などを引いた毛付高四九石余に対し、物成は四ツ五歩。「能登志徴」によれば明暦(一六五五―五八)頃まで金峰寺の支配で、その後百姓分とされたという。正保郷帳に村名がみえ、高五九石余、田二町六反余・畑一町三反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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