( 1 )「隋書‐倭国伝」には日本の鵜飼が世界最古のものとして記録されている。民間でも広く行なわれたが、「古事記」には鵜飼によって捕った魚を進献するという服属儀礼が記され、鵜飼部が魚を献上する職として登場、令制下では宮内省大膳職に鵜飼が属するなど、宮廷儀礼の一環として位置づけられた。
( 2 )江戸時代には諸藩が鵜飼を保護し鵜匠制度も確立した。明治以後は、皇室の御漁場として保護された岐阜の長良川(現在も宮内庁の保護下にある)以外は、九州など一部に観光用として名残をとどめているにすぎない。
ウを使ってアユ、コイ、フナなどの魚をとる漁のこと。これにはウの頸(くび)を紐(ひも)で縛り、自由に魚をとらせ、のどに魚がたまったら呼び寄せて吐かせる「放ちづかい」と、のどを縛った首輪と背から腹にかけた腹掛けとをつないだ手縄を持ってウを操り魚をとらせる「つなぎ鵜飼」とがある。なお放ちづかいのとき、ウに魚を追わせ、逃げてきた魚を網などですくいとる「逐(おい)鵜飼」の方法もある。鵜飼の歴史は古く、7世紀の史書『隋書(ずいしょ)』倭国(わこく)伝に北九州あたりの記述として載っている鵜飼は放ちづかいで、第二次世界大戦後まで佐賀県や島根県に冬季放ちづかいの鵜飼を行うものがあった。これに対し『万葉集』に歌われている鵜飼はおそらく夏季のつなぎ鵜飼で、地方の役人たちでこれをスポーツとして楽しむものもいた。鵜飼をスポーツとして楽しむ風は近ごろまで各地の農民の間にもみられたが、その多くは冬季の放ちづかいの鵜飼であった。夏のつなぎ鵜飼は、通例篝火(かがりび)を用いる夜の鵜飼であるが、その効率の優れているため、他の川漁者の反対で夜漁をやめ昼の鵜飼に変わった所もあった。
平安時代から武家時代にかけて鵜飼は献上アユを供給する源として、君侯の特別な庇護(ひご)を受け、そのおかげで、川筋の広い範囲に鵜飼を行ってきたものが少なくなかった。岐阜長良(ながら)川の鵜飼などもその顕著な例で、明治維新後は宮内省の御用を勤め、厚遇されてきた。「放ちづかい」「つなぎづかい」のいずれも、水中を歩いてウを使うものと、船の上からウを使うものとの区別があるが、夜のつなぎ鵜飼には船上から1人で数羽のウを操る巧妙な技法がみられる。放ちづかいをはじめ簡単な鵜飼にはすぐ慣れて使えるカワウでよかったが、複雑な技法で操る鵜飼には長い訓練に耐えるウミウが使われる。
鵜飼はその技法が珍しく、これを眺めるのも楽しく、とらえたアユの賞味もできるので、かつてしばしば君侯の上覧に供せられ、民主化が進むにつれて庶民の観光資源として尊重されてきた。今日栄えている鵜飼は、岐阜長良をはじめ、大分の日田(ひた)、福岡の原鶴(はらづる)、広島の三次(みよし)、高知の伊野などみな観光的なものであり、このほかに観光客誘致のため近年復活されあるいは新たに始められた鵜飼もある。
以上は日本の鵜飼について述べたのであるが、鵜飼は中国大陸でも古くから行われている。東北部の松花江(しょうかこう)などにも鵜飼がみられるが、盛んに行われるのは中国中部の江蘇(こうそ)、安徽(あんき)、浙江(せっこう)から南の福建、広東(カントン)、広西の諸省、それに西南辺境の四川(しせん)、雲南においてである。多くは濁った河川運河でコイ、ナマズなど大きな魚をとる実用的な漁であること、いずれも昼間の放ちづかいで、なかには首輪も用いず、ウが魚をとったのをみるとこれを吐かせて手網などですくいとるもののあること、船鵜飼でも竹の筏舟(いかだぶね)を用いるものや、小舟二つをつないだものに片足ずつ乗せてウを使い、この二つの小舟にウを乗せて担ぎ、各地へ移動するもののあること、その使うウはシナカワウで日本のように野生のものをつかまえて訓練するのでなく、人工孵化(ふか)したうえ訓練したもので、ウの卵を人工孵化する専門業者のいることなどを特色とする。
なお鵜飼は、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパにスポーツとして受け入れられたこともあった。
[最上孝敬]
『可兒弘明著『鵜飼』(1966・中央公論社)』▽『最上孝敬著『原始漁法の民俗』(1967・岩崎美術社)』▽『『鵜飼の話』(1957・岩波写真文庫)』
能の曲目。五番目物。五流現行曲。原作は榎並(えなみ)五郎、世阿弥(ぜあみ)改作。行脚(あんぎゃ)の僧(ワキ)が石和(いさわ)川のほとりで宿を借りようとするが、土地の者(アイ)に禁制だと断られる。川辺のお堂に泊まると、鵜使いの老人(前シテ)が現れ、密漁のため殺された亡者だと明かし、罪業消滅にと鵜飼のさまを見せて消える。鵜ノ段とよばれる鮮烈な演じどころである。後シテは閻魔(えんま)大王で、僧の法華経(ほけきょう)による回向の功徳により、亡者を極楽に送ることになったと豪快な所作で終わる。法華経礼賛能である。小癋見(こべしみ)という力感に満ちた面をかけるが、これは世阿弥がこの能に使い始めたものと『申楽談儀(さるがくだんぎ)』に記載がある。
[増田正造]
能の曲名。五番目物。鬼物。古作を世阿弥が改作。前ジテは鵜飼いの老人,後ジテは地獄の鬼。旅の僧たち(ワキ,ワキツレ)が甲斐の石和(いさわ)川に赴く。鵜飼いの老人が来かかるので言葉を掛けてみると,僧の一人が前に接待を受けた宿の老人だった。老人は,実は自分はすでに死んで地獄に落ちている者だと打ち明け,殺生禁断の場所で鵜を使ったのが見つかり,川に沈めて殺されたのだと物語る。そして罪滅ぼしのためにといって,生前そのままに鵜飼いをして見せるが(〈鵜ノ段〉),やがて闇の中へ消え去る。僧が小石に法華経の文字を記して弔うと,地獄の鬼が現れ,一僧一宿の功徳と法華の力で老人は成仏したと告げ,この経を賛美する(〈ロンギ〉)。鵜ノ段を中心とする素朴で古風な構成の能である。
執筆者:横道 万里雄
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