日本大百科全書(ニッポニカ) 「金沢氏」の意味・わかりやすい解説
金沢氏
かねさわうじ
北条氏の一族で、北条泰時(やすとき)の弟実泰(さねやす)の子実時(さねとき)を祖とする。鎌倉四境の一つ武蔵国(むさしのくに)久良岐(くらき)郡六浦庄(むつらしょう)(横浜市金沢(かなざわ)区)を領す。実時は庄内金沢郷に屋敷をつくり、持仏堂(死後称名寺(しょうみょうじ)と号す)を建立し、金沢文庫を建てた。実時および子顕時(あきとき)は鎌倉幕府の評定衆(ひょうじょうしゅう)、引付頭人(ひきつけとうにん)を歴任した。顕時は1285年(弘安8)の霜月騒動(しもつきそうどう)で上総(かずさ)(千葉県)に流されたが、のち許された。顕時の子貞顕(さだあき)は六波羅探題(ろくはらたんだい)、連署(れんしょ)を歴任し、幕末には執権となった。北条氏一門として幕政に参画し信頼を得たが、1333年(元弘3・正慶2)の北条氏滅亡とともに金沢氏一族も滅んだ。
[田辺久子]