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金沢文庫 かなざわぶんこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金沢文庫
かなざわぶんこ

鎌倉時代中期,金沢実時 (かねさわさねとき) が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢 (現横浜市金沢区) につくった文庫で「かねさわぶんこ」ともいう。現在は神奈川県立金沢文庫図書館。実時は好学の武将で,幕府の要職を退いたあと,金沢の別荘に引退して書物の収集,書写,校合に努め,文庫をつくってこれらの書物を収めた。実時の死後も,子顕時,孫貞顕が学問を好んだので蔵書は増加し,一族はじめ好学の人たちに公開され,鎌倉時代の関東の文教の中心をなした。しかし,鎌倉幕府の滅亡により文庫も事実上廃絶し,蔵書は称名寺に保管されたが,次第に散失した。明治になって復興運動が起り,1930年復活。古書約2万冊,古文書 7000通が収められている。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

金沢文庫

鎌倉幕府の有力一族・金沢北条氏が称名寺(横浜市金沢区)の境内に設けた図書館。「武家文化の正倉院」ともされる。中国から取り寄せた書籍は、後に有力武将たちの憧れの存在となり散逸した。そのうち徳川将軍家に伝わったものは、宮内庁国立公文書館にまとまって収蔵されている。1930年に県の施設となった。

(2015-03-04 朝日新聞 朝刊 横浜・1地方)

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デジタル大辞泉の解説

かなざわ‐ぶんこ〔かなざは‐〕【金沢文庫】

鎌倉中期、北条実時(ほうじょうさねとき)が武蔵国六浦庄金沢郷(横浜市金沢区)の称名寺境内に設立した文庫。和漢の貴重図書を収蔵し、「足利(あしかが)学校」と並んで中世教育史上の重要な存在。昭和5年(1930)公開図書館となる。所蔵する多数の古文書類は「金沢文庫古文書」として刊行されて、典籍類も刊行中。かねさわぶんこ。

かねさわ‐ぶんこ〔かねさは‐〕【金沢文庫】

かなざわぶんこ(金沢文庫)

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百科事典マイペディアの解説

金沢文庫【かなざわぶんこ】

金沢(かねさわ)文庫

金沢文庫【かねさわぶんこ】

1275年ころ,金沢(かねさわ)実時がその領地金沢郷(現在横浜市金沢区)の居館敷地内に設けた文庫。その居館跡は不明だが,現在の称名寺に隣接し,文庫も独立の家屋として建造された。
→関連項目金沢[区]金沢貞顕説草図書館文庫六浦横浜[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

かねさわぶんこ【金沢文庫】

鎌倉中期,金沢実時によって創設された文庫。武蔵国久良岐郡六浦(むつら)荘金沢郷(現,横浜市金沢区金沢町)の居館敷地内に設けられた。その時期は明白でなく,一応,実時が病をえて金沢の自邸に引きこもった1275年(建治1)ころとされている。金沢氏の居館跡は明らかでないが,現在の称名寺に隣接した西方の谷と考えられ,文庫はその後方の山際のあたりに独立の家屋として建てられた。後世この付近は御所ヶ谷と呼ばれ,文庫が設けられたと思われる東北側の小さな谷は文庫ヶ谷と称されている。

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大辞林 第三版の解説

かなざわぶんこ【金沢文庫】

〔「かねさわぶんこ」とも〕
鎌倉中期、北条実時さねときが武蔵国金沢の称名寺境内に創建した文庫。実時が和漢の書籍を蒐集書写して収蔵したのに始まる。金沢学校とも呼ばれ、足利学校とともに中世学問の中心。鎌倉幕府滅亡とともに衰微したが、1930年(昭和5)再興、貴重書多数が現在に伝わる。称名寺文庫。

かねさわぶんこ【金沢文庫】

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図書館情報学用語辞典の解説

金沢文庫

武蔵国久良郡六浦荘金沢郷(現 横浜市金沢区金沢町)に北条氏の一族(金沢北条氏)の北条実時が1275(建治元)年頃創設したといわれる文庫.実時は多年にわたり優れた書物を集めその基礎を築いた.その後,顕時,貞顕,貞将と受け継がれ,金沢北条氏滅亡の後は称名寺が管理してきた.最も充実していた頃には2万点から3万点の蔵書があったと考えられる.しかしその後は時々の権力者が多くの蔵書を持ち去り,文庫は衰退した.1930年に神奈川県が再興し,1990年以降歴史博物館として公開されている.文庫所蔵の書物が祖本となって伝写され今日まで伝わった貴重な文献は数多い.

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世界大百科事典内の金沢文庫の言及

【金沢貞顕】より

…33年5月鎌倉幕府の滅亡に際し,北条高時らとともに葛西ヶ谷の東勝寺において自刃した。和漢の典籍を書写校合し,金沢文庫の充実につとめた。また流鏑馬(やぶさめ)にも優れていた。…

【金沢実時】より

…武芸とくに騎射に優れたが,学問にも早くから関心をよせ,儒家清原教隆に師事して経史,律令を学び,これを政道に生かすことにつとめたが,勉学の範囲は政治,法制にとどまらず農政,軍学,文学の分野にも及んだ。その書写校合,収集したたくさんの和漢の書物は金沢に引退したおり鎌倉から移され,金沢文庫の基をつくった。また金沢の居館に隣接した東谷に阿弥陀堂を建立して父母の菩提を祈ったが,のち西大寺の叡尊に帰依して67年(文永4)これを律院称名寺と改め,発展させた。…

【金沢文庫】より

…1241年(仁治2)実時18歳のときであるが,このころから彼は鎌倉幕府に仕える儒家清原教隆に師事し,その勉学は政治・法制・農政・軍学・文学など広範囲の分野の書物に及んだ。それらは金沢文庫の基礎をなした書物の一部である。金沢文庫第2代当主の顕時は学問と信仰にあつく,彼の学んだ《春秋経伝集解》や仏書《伝心法要》が現存し,文庫はさらに蔵書を増したと思われる。…

【称名寺】より

… 現在,木造釈迦如来像(重要文化財)などの彫刻,北条実時像などの20点近い中世肖像画,十二神将像(重要文化財)などの多数の仏画,1万3000点を超える和漢の書,4000通余の古文書を所蔵する。そのほとんどは昭和の初めに境内に建てられた神奈川県立金沢文庫が保管している。中世の金沢文庫は,実時またはその子の顕時によって作られ,一種の図書館として,また〈武州金沢之学校〉などといわれて教育機関としても著名であった。…

【蔵書印】より

…東洋に発達したもので,印材には玉,石,金属,骨,牙,貝殻,木,竹などが用いられた。日本の蔵書印で古いものは,正倉院御物にみる光明皇后(701‐760)の〈積善藤家〉〈内家私印〉などが知られ,また,横浜市の金沢称名寺の〈金沢(かねさわ)文庫〉という長方形の2種が著名である。蔵書印はだいたい蔵書家の姓か,雅号か姓名または文庫名を入れたものが多いが,ときには書物に対する希望や警句などを入れたものもある。…

【図書館】より

…やがてわれわれはより便利な漢和字書《和名類聚抄(わみようるいじゆしよう)》をもつが,これも一種の類書であった。
[中世,近世]
 下っては,金沢(かねさわ)文庫足利学校が日本図書館史上重要である。金沢文庫は13世紀後半,金沢実時によって創設された文庫で,とりわけ3代貞顕の集書努力により大いに充実した。…

【文庫】より

…わずかに平安時代末期から京都冷泉(れいぜい)家に伝わった1200件余,約1万点にのぼる古文書類が伝存され,冷泉家時雨亭文庫として公開されている。鎌倉時代に入ると文庫を持つことができるのは武士階級となり,とくに北条実時から3代を費やして収集された金沢文庫,足利氏の創建した足利学校の文庫などが著名である。室町時代には,明との交易により多数の漢籍が輸入され,とくに東福寺の普門院書庫,同じく海蔵院文庫などが充実していた。…

※「金沢文庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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