執権(読み)しっけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

執権
しっけん

政務を執行する者。 (1) 朝廷の記録所職員のうちの弁官の称。 (2) 院庁 (いんのちょう) の別当のうち常時事務を主宰する者。 (3) 鎌倉幕府で将軍を補佐し,幕政を統轄した職。源頼朝の死後,北条氏が台頭し義時が侍所別当和田義盛を滅ぼして,政所,侍所の両別当職を兼ね,幕府の実権を握って執権と称し,以後北条氏が世襲した。鎌倉幕府の事実上の最高責任者。 (→執権政治 )  

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デジタル大辞泉の解説

しっ‐けん【執権】

政治の実権を握ること。また、その人。
院政時代院の庁の長官の称。
鎌倉幕府職名。幕政を統轄した最高の職。第3代将軍源実朝のとき北条時政が就任し、以後、北条氏が世襲した。
室町時代管領(かんれい)のこと。また、主家を補佐するところから、諸大名の家臣の称。

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百科事典マイペディアの解説

執権【しっけん】

鎌倉幕府の職名。将軍の後見役を兼ね,軍事,司法,政務など幕政全体を総攬(そうらん)する。政所(まんどころ)別当のうち1名を任じ,大江広元がその初めともいうが,1203年北条時政が源実朝を将軍に立てた時に就任したのが最初。1213年和田義盛を滅ぼして侍所(さむらいどころ)・政所両別当職を兼任した北条義時は,事実上幕政の最高権力者となり,以後北条氏が独占的に執権の地位を世襲した。執権はその補佐官たる連署とともに幕政を統轄し,幕府の主要な公文書はこの両者の名前によって発行された。
→関連項目内管領金沢貞顕関東御領株河駅下知状施行状執権政治執事摂家将軍平頼綱得宗二月騒動藤原頼経北条氏北条貞時北条高時北条時房北条時宗北条時頼北条泰時和田合戦

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世界大百科事典 第2版の解説

しっけん【執権】

鎌倉幕府の職名。本来は権力を握ること。職名としてはまず朝廷の記録所の勾当の別称。この制は1069年(延久1)の記録所の設置にさかのぼるが,勾当を執権と称したことが確認できるのは1186年(文治2)以後である。また蔵人の中でとくに蔵人頭執権職事(しつけんのしきじ)ということもあった。次に院庁では別当の中で器量の者1名を執権に任じ,院中雑務の責任者とした。この制は後鳥羽院政期に始まり,臨時の職であった。

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大辞林 第三版の解説

しっけん【執権】

政権を握ること。また、その人。
鎌倉幕府の政所まんどころの長官。将軍を補佐し政務を統轄した最高の職。源実朝のときに北条時政が任ぜられ、以後、北条氏が世襲。
室町幕府の管領かんれいの別名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

執権
しっけん

鎌倉幕府の職名で、将軍を補佐し政務を総轄した。幕府成立期には政所(まんどころ)の別当(べっとう)大江広元(おおえのひろもと)のことを執権といったが、3代将軍源実朝(さねとも)の時代に北条時政(ほうじょうときまさ)も政所別当の地位について2人となり、時政の権力が増大するとともに執権と称して政務の実権を掌握するに至った。時政のあと北条義時(よしとき)がその地位を継いだが、1213年(建保1)に侍所(さむらいどころ)別当であった和田義盛(よしもり)を滅亡させ、政所と侍所の両別当を兼ねて幕政を統轄するに及び、将軍はまったく名目的な存在となった。以後、北条氏がこの地位を世襲し、連署(れんしょ)、評定衆(ひょうじょうしゅう)、引付衆(ひきつけしゅう)らを率いて幕府の実権を掌握し、北条氏の独裁体制を確立した。この執権北条氏の独裁的な体制を執権政治という。[田中文英]

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精選版 日本国語大辞典の解説

しっ‐けん【執権】

〘名〙
① 政権をとること、権勢をふるうこと。また、その人。
※袋草紙(1157‐59頃)上「在外戚、執権御座つるに」 〔漢書‐魏相伝〕
② 院中雑務執行の責任者。院別当のうちから一人を選んで任じた。
※葉黄記‐寛元四年(1246)正月二九日「然而先例或他人雖執事、器量之者一人又奉執権。今此議也」
③ 朝廷の記録所の弁。
※玉葉‐文治三年(1187)二月一七日「記録所弁事、延久、保元、共蔵人弁為執権
④ 鎌倉時代、幕府の政所(まんどころ)の長官。将軍を補佐し、政務を統轄した最高の職。将軍源実朝のとき北条時政が任ぜられて以後は、北条氏が世襲した。
※吾妻鏡‐建仁三年(1203)一〇月九日「次第故実、執権悉奉之云々」
⑤ 室町時代、管領の別称。また、主家を補佐するところから諸大名の家臣が称することもあった。
※鎌倉殿中以下年中行事(1454か)「管領執権と云事、毎々諸人申条不然〈略〉管領一人をば執権と申べき也」
⑥ 江戸時代、大名・小名の家臣で、家の事務を総轄した職。家老。
※浄瑠璃・赤染衛門栄華物語(1680)二「家のしっけん小玉の彌忠太聞もあへず」

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世界大百科事典内の執権の言及

【院司】より

…院事を総理する別当は,はじめ1~2名にすぎなかったが,しだいに員数が増え,ことに院政開始後は,公卿・殿上人が競って別当になることを望んだので,白河上皇の晩年には20人前後にも達した。これに対処して生まれたのが執行別当(のち執事)・年預別当で,さらに鎌倉時代以降は執権も置かれ,院中の庶政は執事・執権によって運営され,雑事は年預・庁年預(主典代が兼任)によって執行された。(3)の別納所は勅旨田の地子や封戸の納物を収納する所として重視され,主殿所は湯・灯油を供進し,掃部所は清掃・鋪設をつかさどり,薬殿は薬を供進し,仕所・召次所は仕丁を進退して雑役に従事し,御服所は装束を,細工所は車その他雑具を調進し,御厨子所・進物所は進膳の事をつかさどった。…

【探題】より

…もともとは前記の仏教用語に発するもので,その論題の判定機能のゆえに幕府の裁判担当者の職名に転じたとみなされている。鎌倉幕府では東国の執権・連署が探題と呼ばれ,また西国・九州を単位としてそれぞれ六波羅探題・鎮西探題が置かれたが,その職名は通称であって,正式の職名ではなかったようである。室町幕府では幕府や関東府の管領・執事が探題と呼ばれた例はなく,それ以外の広い地域の管領権を有する職についてのみ探題と呼ばれた。…

【北条時政】より

…鎌倉幕府の初代執権。時方の子。…

※「執権」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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