金窪村(読み)かなくぼむら

日本歴史地名大系 「金窪村」の解説

金窪村
かなくぼむら

[現在地名]上里町金久保かなくぼ

東西に走る中山道沿いに位置し、東は石神いしがみ村、西は勅使河原てしがわら村、北は忍保おしぼ(矢田の清水)を挟みまゆずみ村と毘沙吐びさど村。中山道から上州玉村たまむら宿(現群馬県玉村町)への三国みくに街道の一ルートを分岐する(分間延絵図)。金久保とも記すが郷帳類には金窪村とみえる。天正八年(一五八〇)一二月一日の北条氏邦印判状(長谷部文書)には、長谷部備前守に対して神流かんな川を境として上野の武田方への塩荷を押えるべき範囲が示されているが、そのなかに「金窪」とみえる。同一〇年六月二二日の某書状写(松平義行氏所蔵文書)には、滝川一益と北条氏直・氏邦との神流川合戦に関して、同月一八日に「かなくほ・本庄之原」で合戦があったとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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