金道村(読み)きんどうむら

日本歴史地名大系 「金道村」の解説

金道村
きんどうむら

[現在地名]豊田町大字金道

粟野あわの川の支流宇内うない川流域の小村で、東は稲見いなみ村、南は八道やじ村、西は宇内村に接する。長府藩領で豊浦郡豊田筋に属す。

年号不詳の「内藤隆春分領惣田数辻之事」(「閥閲録」所収)に「金道」とあるが、高付されるのは「地下上申」からである。同書は村名の由来を、村内の金啓きんけい庵の項に、同庵の「地開キ申候節、細キ金の塔を掘出候ニ付、建立已後金塔庵と改申候」と記し、その金塔の「塔」を「道」と書き違え、「金道村」となったと記す。「其後彼之庵焼失申由」ともある。総高は六三四石余、うち田方五九五石余、畠方三八石余。給領は四人の相給で、高二〇八石余。家数三三、人口一六一人。

村内の小村・小名として「地下上申」は田尻たじり岩崎いわさき大坪おおつぼはたをあげる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む