宇内村
うないむら
[現在地名]矢掛町宇内
川面村の西、東流する星田川の流域に位置、南は小田村。東方の星田川左岸には泉川原古墳群がある。応永三年(一三九六)一二月二五日の九条経教遺誡(九条家文書)にみえる「宇那江」(→駅里庄)、検討の余地は残るが「小田郡誌」に収める天正三年(一五七五)一二月一八日の毛利輝元宛行状にみえる「百五拾貫 宇那江村」は当地のことか。
「小田物語」によれば大坂侍の酒井下総(坂井成利)は、慶長一七年(一六一二)から四年間にわたり、当村・本堀村で計一千石を領した。
宇内村
うないむら
[現在地名]豊田町大字宇内
粟野川の支流宇内川上流域を村域とする。西は浮石、東は稲見・金道、南方は八道などの諸村に隣接。長府藩領で豊浦郡豊田筋に属す。
年号不詳の「内藤隆春分領惣田数辻之事」(「閥閲録」所収)に「宇奈井」「宇奈井郷」などとみえるが、慶長期(一五九六―一六一五)の検地帳には高付されていない。西市町の紅粉屋家の正保四年(一六四七)の文書に宇内とある。「地下上申」によれば全村を五人の給領主が分知、総高六四〇石余、うち田方六〇二石余、畠方三七石余、家数三二、人口一五一人とある。また村名の由来を「宇内何かしと申仁、往古此所ニ居住被
致」と記している。
宇内村
うないむら
[現在地名]宇部市大字小野の一部
厚狭郡の最北端に位置する山村。村の境界に標高一〇〇メートル前後の山が連なり、盆地の中央を厚東川の支流が南流する。北から東は真名(現美祢郡美東町)、北から西は東吉部(現厚狭郡楠町)、南は上ノ小野の各村に接する。萩藩領で舟木宰判に属する。
近世初期までは四ヶ小野(鹿小野)と称される地の一部であった。
「地下上申」では「一ノ小野村」の小村のうちに上宇内・下宇内があげられている(→市ノ小野村)。
「注進案」には、上ノ小野村と一括記載され、総田畠数は一九五町余、総石高は二千四五一石余、うち蔵入地は一千八三六石余、給領地は六一四石余で萩藩士口羽氏分六〇八石余が上ノ小野村にあり、あと三氏の合計四石余が宇内村にある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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