日本歴史地名大系 「豊浦郡」の解説
豊浦郡
とようらぐん
山口県の西端を占め、北東は
郡内の地形は東から続く中国山地の西末端が延びて、その分派支脈が四方に屹立する。
郡名の初見は、天平九年(七三七)の長門国正税帳(正倉院文書)であるが、「豊浦」の名は「日本書紀」仲哀天皇二年七月条に「豊浦津」、同九月条に「穴門豊浦宮」などとあって、初めは関門海峡付近をさす地名であったものが、のち郡名に広がったものである。訓は「和名抄」刊本に「止与良」とあり、「トヨラ」と読んだ。しかし近代に入り「トヨウラ」と読むように変化している。
〔原始〕
豊浦町の
弥生時代になると、九州や朝鮮半島に近いこの地には水田耕作が進んだらしく、前期の農耕集落が響灘の沿岸や木屋川流域などに広く分布する。豊北町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報