金鑽村
かなさなむら
[現在地名]神川町二ノ宮
金佐那などとも記す。新宿村の東に位置し、南は渡瀬村。村名は金鑽神社が鎮座することに由来するという(風土記稿)。天正一九年(一五九一)の八幡山城(現児玉町)城主松平家清知行分を示した武州之内御縄打取帳(松村家文書)によると村柄は上之郷で、田方三町四反余・畑方六町二反余(うち屋敷三反余)、俵高一九二俵余(一俵五斗入)、金鑽寺の寺中三町余は検地免除であった。元和三年(一六一七)五月、花房右馬助(正栄)は八幡山領内の「金左那」など六ヵ村で七六五石余を徳川氏から宛行われている(記録御用所本古文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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