針崎古戦場(読み)はりさきこせんじよう

日本歴史地名大系 「針崎古戦場」の解説

針崎古戦場
はりさきこせんじよう

[現在地名]岡崎市針崎町 朱印地

丘の上にある勝鬘(しようまん)寺の付近はかつて南も西も広々とした蓮池に囲まれ、水田が広がっていたが、寺の近くに蒲掛(がまかけ)とよばれるところがあり、これは三河一向一揆の時の古戦場である。「家忠日記」によると、永禄七年(一五六四)正月、土呂(とろ)・針崎地方の一向宗門徒は勝鬘寺に結集し、上和田(かみわだ)の砦を破って岡崎に進出せんとして蜂屋半之丞・筧助太夫・本多善蔵らが討って出て上和田の砦の木戸口に押寄せた。上和田砦からは大久保一族をはじめ家康配下の武士たちが門を開いて討って出て激戦となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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