日本大百科全書(ニッポニカ) 「銀川平原」の意味・わかりやすい解説
銀川平原
ぎんせんへいげん / インチョワンピンユワン
中国、寧夏(ねいか/ニンシヤ)回族自治区銀川市を中心に、黄河(こうが/ホワンホー)上流部に形成される平野。寧夏の中心地域であるところから寧夏平原ともいい、また下流の内モンゴル自治区の後套(こうとう)平原、前套平原とあわせて河套(かとう/ホータオ)平原といい、こちらを西套平原という。この平野は賀蘭(がらん/ホーラン)山脈の東に断層でできた陥没地に、甘粛(かんしゅく/カンスー)省の山地から青銅峡(せいどうきょう/チントンシヤ)を抜けた黄河が、厚い堆積(たいせき)物をもたらして形成されたものである。北の石咀(せきしょ)山に至り、ふたたび狭い急流となるまで、南北約200キロメートル、東はオルドス高原で画され、広い所では約50キロメートルの幅をもつ。青銅峡より上流には中衛盆地、中寧盆地があり、これを衛寧(えいねい)平原と称して銀川平原に含めることもある。平野部は黄河が網状に分流し、古くから灌漑(かんがい)が発達し、秦渠(しんきょ)、漢渠(かんきょ)、唐徠渠(とうらいきょ)などは歴史的に有名である。1949年の解放後も灌漑水路の建設は続けられ、「塞上(さいじょう)の江南(こうなん)」と称される農業地域となっている。
[秋山元秀]