江南(読み)こうなん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

江南
こうなん

埼玉県中北部,熊谷市南西部の旧町域。荒川の中流右岸に位置する。 1955年御正村,小原村の2村が合体して江南村と改称,1985年町制。 2007年熊谷市に編入。北部は沖積低地,南部は洪積台地米作,野菜・果樹栽培が行なわれ,県の畜産研究所がある。台地には古代遺跡が点在し,千代の権現坂埴輪窯跡,小江川の高根横穴群や野原古墳群がある。 17世紀末から 18世紀の建築といわれる平山家住宅は国指定重要文化財。

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百科事典マイペディアの解説

江南【こうなん】

中国,長江以南の地方。現在では長江下流南方のデルタ地帯の江浙平野一帯をさす。温暖多雨,中国の穀倉地帯で,稲作が盛ん。4世紀,五胡の侵入によって,東)が江南に建国,南北朝時代に開発が進んだ。唐は江南道を置いたが,貴州,広東,広西の3省を除く広い地域を含んだ。14世紀,はそのころ経済の中心地となっていた江南より興り,天下を統一した。
→関連項目魏晋南北朝時代六朝文化

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世界大百科事典 第2版の解説

こうなん【江南 Jiāng nán】

中国,長江(揚子江)以南の地方,今の江蘇安徽,江西省南部。この3省を通称して江南ということもある。狭義には江左を,広義には長江中下流域つまり淮河(わいが),漢水以南で南嶺以北の華中の地を指す。古代の江南は蛮夷が住み,火耕水耨(かこうすいどう)という遅れた農法に象徴される後進地であったが,晋室の南渡と共に急速に開発が進んだ。そして明・清にいたると江南は文化の中心地となり,清の乾隆帝による,〈江浙は人文淵藪である〉との論評を生むに至るのである。

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精選版 日本国語大辞典の解説

こう‐なん カウ‥【江南】

[1] (「江」は河の意) 河の南。
※万葉(8C後)二〇・四三九七・題詞「在舘門江南美女作歌一首」
[2]
[一] (中国で「江」は揚子江の意) 揚子江の南の地方。
※仮名草子・竹斎(1621‐23)下「かうなんの野水天よりも碧也と作られしも、かくやと」
[二] (「江」を淀川の意に用いて) 大阪の旧市内。また、特に道頓堀の地をさす。
※浮世草子・男色大鑑(1687)八「江南(カウナン)の浅瀬に水覚船(すいかくぶね)をよせて」
[三] (「江」を近江の意に用いて) 近江(滋賀県)の南部。南近江。
※随筆・孔雀楼筆記(1768)三「樫田房州この時いまだ江南にあり」
[四] 愛知県北西部の地名。木曾川の左岸にあり、古くから養蚕業が盛ん。現在は化学繊維の工業都市として発展。曼陀羅寺がある。昭和二九年(一九五四)市制。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

江南
こうなん

中国の長江以南の味であるが,広義には長江沿岸をも含める
永嘉の乱による晋の東遷以後,華北貴族農民が移住して六朝 (りくちよう) 文化をおこし,開発が進んだ。宋代には米作の中心として経済の最重要地域となり,明代以降は,綿・絹織物産業が発達,農村家内工業や,一部のマニュファクチュアも現れるまでに至った。

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世界大百科事典内の江南の言及

【唐】より

…中国,五代十国の一つ。南唐,江南(国)ともいう。937‐975年。…

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