鋳物師興野(読み)いもじごうや

日本歴史地名大系 「鋳物師興野」の解説

鋳物師興野
いもじごうや

[現在地名]白根市鋳物師興野

信濃川左岸に沿い、蜘手くもで興野の南に連なる。元来十二道島じゆうにどうじま村の字高谷と称したが、慶長年間(一五九六―一六一五)新発田重家の旧臣相馬久右衛門が二人の同志とともに開発したといい、同二〇年の両島組代官加藤左近が久右衛門に宛てた新田開発免状(中蒲原郡誌)には、「十二道嶋村の内に、久右衛門立申候高谷に、ろう人三人被仰付候間、田畠方三年之間、開作可仕候者也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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