日本歴史地名大系 「白根市」の解説 白根市しろねし 面積:七九・二五平方キロ信濃川と中(なか)ノ口(くち)川に囲まれた、いわゆる白根郷のほぼ全域を占め、東は信濃川を境に加茂市・南蒲原(みなみかんばら)郡田上(たがみ)町・中蒲原郡小須戸(こすど)町・新津市に、西は中ノ口川を境に燕市・西蒲原郡中之口(なかのくち)村・月潟(つきがた)村・味方(あじかた)村・黒埼(くろさき)町に接する。南は信濃川と中ノ口川を結んでいた旧福田(ふくだ)川跡を境に三条市と、北は信濃川・中ノ口川の合流点付近で新潟市と接する南北二〇キロ・東西五キロのキュウリ形をなす。南部で一部加茂市域がくいこんでいる。〔古代・中世〕越後平野中央部の典型的な低湿湛水地帯であり、南北の標高差は二メートル程度で、開発は相対的に遅れたと思われ、遺跡は南部の庄瀬(しようぜ)付近を中心に興野(こうや)遺跡・若宮様(わかみやさま)遺跡・馬場屋敷(ばばやしき)などがあるにすぎない。土師質土器、珠洲系・越前系・瀬戸系陶器、磁器など中世遺物の出土があり、若宮様遺跡・馬場屋敷からは墨書のある木製品の断簡と古銭が数多く出土した。墨書は解読困難なものが多いが、数点については「しやうをう四年正月十二日」「えんきやう三年三月九ぬか」と年代が読みとれ、また「古川」「よしへ」(吉江)など地名と思われる文字を含む。庄瀬地域は白根郷内でも高所にあり、中世館跡の存在とともに新田氏の一族里見氏による開発や小吉(こよし)郷の総称が古くから伝えられる。永正年間(一五〇四―二一)頃の蒲原郡段銭帳(米沢市立図書館蔵)には青海(おうみ)庄内として「小吉之条」とみえ、元亀―天正年間(一五七〇―九二)には「小吉東嶋」(元亀二年三月四日「秀家(姓欠ク)年貢皆済状写」関根伸行氏所蔵文書)、「小吉条いはらそね」(天正一三年一一月一〇日「山吉景長安堵状写」同文書)などとみえるが、小吉は現中之口村内旧小吉地区から当市域をも含め広い地域に及んだと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by