鍋倉城(読み)なべくらじょう

日本の城がわかる事典 「鍋倉城」の解説

なべくらじょう【鍋倉城】

岩手県遠野盆地南方の物見山の麓の独立丘陵の鍋倉山に築かれた山城(やまじろ)。鎌倉時代以来、今日の遠野市一帯を所領としていた阿曽沼(あそぬま)氏の居城である。阿曽沼氏はもともと市内にあった横田城を居城としていたが、ここに移り、そのまま横田城と呼んだ。豊臣秀吉の奥州仕置により、鎌倉時代以来400年に及んだ阿曽沼氏の支配は終わり、遠野は南部領に編入された。南部氏は当初、この城に城代を置いたが、盛岡藩初代藩主の南部利直は、八戸根城を居城としていた一族の南部(八戸)直義に遠野への転封を命じ、直義は1627年(寛永4)、八戸を去って遠野に入部、この城を居城とした。その際、横田城という名前を改めて鍋倉城に変えたといわれる。これに伴い、八戸氏代々の居城である八戸根城は廃城になっている。遠野に居を構えた八戸氏は、以後遠野南部氏と呼ばれるようになり、以後、明治維新までの約240年間、遠野1万2500石を支配した。現在、城跡は鍋倉公園となり、当時の三の丸に天守閣風の「なべくら展望台」が建設されている。JR釜石線遠野駅から車で約5分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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