鍛冶町一丁目(読み)かじちよういつちようめ

日本歴史地名大系 「鍛冶町一丁目」の解説

鍛冶町一丁目
かじちよういつちようめ

[現在地名]千代田区鍛冶町一丁目

日本橋から筋違(すじかい)御門に通じる道筋(中山道)を挟んだ両側町。西は神田塗師(かんだぬし)町・上白壁(かみしらかべ)町、東は神田紺屋(かんだこんや)町一丁目・下白壁町、神田塗師町と上白壁町の間にも町地がある。北は鍛冶町二丁目。慶長八年(一六〇三)の町割によって成立、町名は幕府鍛冶方棟梁であった高井伊織の拝領地にちなむという(東京府志料・東京地理志料)。明暦三年(一六五七)の新添江戸之図に「かち町」、寛文新板江戸絵図に「かぢ丁」一―二丁目がみえる。なお寛永江戸図にも町名が載る。鍛冶方高井土佐が国役金を負担する国役町で、小間数は一二二間余、うち京間一一五間・田舎間七間余(安永三年小間附町鑑)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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