白壁町(読み)しらかべまち

日本歴史地名大系 「白壁町」の解説

白壁町
しらかべまち

[現在地名]彦根市中央町ちゆうおうちよう本町ほんまち一丁目

内大工うちだいく町の北方にある両側町で、西は上本町に接する。城下町割前は長曾根ながそね村の村域であったという。元禄八年大洞弁天寄進帳に町名がみえ、軒数五三のうち借家三三、男一七九・女一二七(下人八三)、諸職諸商は二四種四七軒で、鍛冶屋五・小間物屋四・挽米屋三のほか、薬屋・煙草屋・金具屋・納屋・仕立屋・将棋屋・御馳走屋・両替屋など、屋号に天王寺屋・薩摩屋・松前屋など、代官田中十兵衛が住し、町代・横目はいずれも酒屋の者が勤めていた。


白壁町
しらかべちよう

[現在地名]千代田区鍛冶町かじちよう一―二丁目

鍛冶町一丁目および同二丁目の東西に分れて位置する町屋。両町の境をなす東西の路地に面した両側町で、西側を上白壁町、東側を下白壁町とよんだ(安政六年再版尾張屋版切絵図)。西は新石しんこく町一丁目、東は元乗物もとのりもの町代地・神田紺屋かんだこんや町二丁目代地など。寛文新板江戸絵図に「白かべ丁」とみえる。なお、寛永江戸図にも同様にみえ、国会図書館蔵寛永江戸図では「よこわんじやう町」とある。町名は左官棟梁安間源太夫など左官職人が多く居住していたことにちなむ。


白壁町
しらかべちよう

[現在地名]東区白壁

城下の東部を占める武家屋敷街の一つ。中級の藩士の住居数十戸が道路を挟んで向い合せに並び、北は相応寺そうおうじ筋とよばれる長塀ながへい町に、南は主税ちから町に接していた。この辺り一帯、名古屋開府の前後は丘陵渓谷があり、古くは山吹やまぶき谷と称される名勝地であった。町名の起源白壁造の家が多かったからといわれる。


白壁町
しらかべちよう

中京区麩屋町通三条下ル

南北に通る麩屋町ふやちよう通を挟む両側町。

平安京条坊では、左京四条四坊四保一六町の地。

町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「さくら町」、寛文後期洛中洛外之絵図で「白かべ町」となり、以後変化はない。

この町には旅人問屋(京雀跡追)桑名浜松・大坂方面諸国買物問屋(京羽二重織留)などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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