江戸名所図会(読み)エドメイショズエ

デジタル大辞泉 「江戸名所図会」の意味・読み・例文・類語

えどめいしょずえ〔えどメイシヨヅヱ〕【江戸名所図会】

絵入り江戸地誌。7巻20冊。斎藤幸雄・幸孝・幸成の親子3代で完成。長谷川雪旦画。天保5~7年(1834~36)刊。江戸とその近郊の神社・仏閣名所旧跡の由来や故事などを説明したもの。

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精選版 日本国語大辞典 「江戸名所図会」の意味・読み・例文・類語

えどめいしょずえ えどメイショヅヱ【江戸名所図会】

江戸の絵入り地誌。七巻二〇冊。斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑)の親子三代で完成。絵は長谷川雪旦・雪堤の筆になる。文政一二年(一八二九成立。天保五~七年(一八三四‐三六)孫の幸成が刊行。寛政から天保に至る江戸、およびその近郊の社寺名勝、町、橋、風俗を、絵を多く挿入しながら説明してあるのが特色

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日本歴史地名大系 「江戸名所図会」の解説

江戸名所図会
えどめいしよずえ

七巻二〇冊

別称都名所図会 斎藤幸雄・幸孝・幸成撰、長谷川雪旦画

成立 文政一二年自序、天保五―七年刊

版本 国立国会図書館・国立公文書館内閣文庫・東京国立博物館・都立中央図書館ほか

写本 東京大学史料編纂所(一九冊)・都立中央図書館(一冊)

解説 武蔵・江戸の名称、江戸城の大要、さらに江戸を七方面に分割し、各方面の寺社・旧跡・名勝などについて解説。実地調査と古書の引用と考証を踏まえており、評価が高い。雪旦の絵も当時の景観や風俗を知るうえで貴重。

活字本 日本名所風俗図会四・昭和四二―四三年刊(角川文庫)、平成八―九年「新訂江戸名所図会」ほか

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百科事典マイペディア 「江戸名所図会」の意味・わかりやすい解説

江戸名所図会【えどめいしょずえ】

絵入りの江戸の地誌。7巻20冊。神田雉子(きじ)町の名主斎藤幸雄(ゆきお)が寛政年間(1789年―1801年)に編集に着手,その子幸孝(ゆきたか),孫幸成(ゆきしげ)(斎藤月岑(げっしん))を経て,1834年前半10冊,1836年後半10冊を刊行。絵は長谷川雪旦。1780年刊行の《都名所図会》以来,同種のものは数十種あるが,内容,さし絵とも本書が第一とされ,江戸風俗史の研究資料としても重要。→町名主
→関連項目江戸名所記武江年表名所図会

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「江戸名所図会」の意味・わかりやすい解説

江戸名所図会
えどめいしょずえ

江戸とその近郊の絵入り名所地誌。編者は斎藤幸雄(ゆきお)(長秋)・幸孝(ゆきたか)(莞斎(かんさい))・幸成(ゆきなり)(月岑(げっしん))の父子三代。1834~36年(天保5~7)に江戸の須原屋(すはらや)茂兵衛・同伊八が刊行。7巻20冊。画(え)は長谷川宗秀(雪旦(せったん))。斎藤氏は神田雉子(きじ)町の名主で、寛政(かんせい)年間(1789~1801)に幸雄が江戸府内および近郊を実地に調べて執筆したが出版できずに没し、幸孝が引き継いで増補したが未刊のまま死去、幸成がさらに校訂を加えて完成、ついに刊行した。江戸府内および武蔵野(むさしの)近郊の神社・仏閣、名所古跡の沿革と現状を実地検証によって記述し、その史料的価値は高い。ことに風俗、行事、景観を伝える雪旦の画(え)は、実地の写生であって精緻(せいち)を極めた描写が多く、文化・文政期(1804~30)から天保(てんぽう)期(1830~44)にかけての江戸の生活史料としても好適である。『大日本名所図会』『有朋堂文庫』『角川文庫』所収。

[水江漣子]


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改訂新版 世界大百科事典 「江戸名所図会」の意味・わかりやすい解説

江戸名所図会 (えどめいしょずえ)

江戸地誌。著者は斎藤長秋・莞斎・月岑(げつしん)の父子三代。挿絵は長谷川雪旦。1834年(天保5),36年須原屋茂兵衛・伊八刊。大本7巻20冊。江戸府内にとどまらず,北は大宮,西は日野,東は船橋辺に至るまで筆を及ぼし,名所旧跡,社寺仏閣などの沿革と現況を,実地踏査にもとづき記述,雪旦の描く詩情豊かな挿図とともに史料的価値が高く,幕末期の江戸風俗を知るうえに欠くことのできぬ一史料となっている。
斎藤月岑
執筆者:

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「江戸名所図会」の解説

江戸名所図会
えどめいしょずえ

江戸の地誌。7巻。美濃判。編者は斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑(げっしん))の父子3代。挿絵は長谷川雪旦(せったん)。1834年(天保5)3巻,36年4巻刊。編者の斎藤家は神田雉子町名主。幸雄は実地調査から草稿を作ったが1799年(寛政11)没,幸孝は絵師に雪旦を起用し江戸近郊を増補したが刊行を果たせず没した。遺業を継いだ幸成が校訂を加えてなしとげた。江戸城を中心に七つの地域にわけた構成は,実際には江戸をはるかにこえた範囲に及ぶ。1000余を数える神社仏閣・古跡名所などの現況・沿革は,実地調査と古書の引用と考証をふまえた記述で評価は高い。雪旦の絵の精緻な描写も当時の景観・風俗を知る好史料。「日本名所風俗図会」所収。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江戸名所図会」の意味・わかりやすい解説

江戸名所図会
えどめいしょずえ

絵入りの江戸地誌。7巻 20冊。寛政年間 (1789~1801) に江戸神田の町名主斎藤幸雄 (長秋) が江戸府内,近郊を実地に見聞踏査し編集に着手し,その子幸孝 (莞斎) が補訂し,その孫幸成 (月岑) にいたって完成したもので絵は長谷川雪旦,雪堤父子による。天保5 (34) ,同7年の2回に分けて出版された。本書以前にも同種の書物は数十種刊行されているが,その内容において,本書は名所図会中第一のものとされている。なお幸成には本書の姉妹編『東都歳事記』などのすぐれた著書がある。本書は木版原本も多く伝存している。

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世界大百科事典(旧版)内の江戸名所図会の言及

【名所図会】より

…こうした吉野屋為八の企画とその成功に刺激されて,他の書店もこれにならって《東海道名所図会》《木曾路名所図会》《伊勢参宮名所図会》《金毘羅参詣名所図会》《二十四輩名所図会》のほか,ひいては《唐土名勝図会》などというものまでも出版され,また,地誌とは離れた《山海名産図会》その他のものまで作られるにいたった。名所図会の流行は文化年間(1804‐18)に及び,さらにその後京坂以外の土地でも,《江戸名所図会》《尾張名所図会》などその内容にいっそうの整備を志したいくつかの図会が作られた。なかでも天保年間(1830‐44)に刊行された《江戸名所図会》などは,斎藤長秋,莞斎,月岑(げつしん)と3代30年余を経てようやく完成をみたもので,挿絵は長谷川雪旦の手に成り,〈名所図会〉中の第一の傑作に推されている。…

※「江戸名所図会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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