出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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江戸とその近郊の絵入り名所地誌。編者は斎藤幸雄(ゆきお)(長秋)・幸孝(ゆきたか)(莞斎(かんさい))・幸成(ゆきなり)(月岑(げっしん))の父子三代。1834~36年(天保5~7)に江戸の須原屋(すはらや)茂兵衛・同伊八が刊行。7巻20冊。画(え)は長谷川宗秀(雪旦(せったん))。斎藤氏は神田雉子(きじ)町の名主で、寛政(かんせい)年間(1789~1801)に幸雄が江戸府内および近郊を実地に調べて執筆したが出版できずに没し、幸孝が引き継いで増補したが未刊のまま死去、幸成がさらに校訂を加えて完成、ついに刊行した。江戸府内および武蔵野(むさしの)近郊の神社・仏閣、名所古跡の沿革と現状を実地検証によって記述し、その史料的価値は高い。ことに風俗、行事、景観を伝える雪旦の画(え)は、実地の写生であって精緻(せいち)を極めた描写が多く、文化・文政期(1804~30)から天保(てんぽう)期(1830~44)にかけての江戸の生活史料としても好適である。『大日本名所図会』『有朋堂文庫』『角川文庫』所収。
[水江漣子]
江戸地誌。著者は斎藤長秋・莞斎・月岑(げつしん)の父子三代。挿絵は長谷川雪旦。1834年(天保5),36年須原屋茂兵衛・伊八刊。大本7巻20冊。江戸府内にとどまらず,北は大宮,西は日野,東は船橋辺に至るまで筆を及ぼし,名所旧跡,社寺仏閣などの沿革と現況を,実地踏査にもとづき記述,雪旦の描く詩情豊かな挿図とともに史料的価値が高く,幕末期の江戸風俗を知るうえに欠くことのできぬ一史料となっている。
→斎藤月岑
執筆者:小池 章太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸の地誌。7巻。美濃判。編者は斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑(げっしん))の父子3代。挿絵は長谷川雪旦(せったん)。1834年(天保5)3巻,36年4巻刊。編者の斎藤家は神田雉子町名主。幸雄は実地調査から草稿を作ったが1799年(寛政11)没,幸孝は絵師に雪旦を起用し江戸近郊を増補したが刊行を果たせず没した。遺業を継いだ幸成が校訂を加えてなしとげた。江戸城を中心に七つの地域にわけた構成は,実際には江戸をはるかにこえた範囲に及ぶ。1000余を数える神社仏閣・古跡名所などの現況・沿革は,実地調査と古書の引用と考証をふまえた記述で評価は高い。雪旦の絵の精緻な描写も当時の景観・風俗を知る好史料。「日本名所風俗図会」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…こうした吉野屋為八の企画とその成功に刺激されて,他の書店もこれにならって《東海道名所図会》《木曾路名所図会》《伊勢参宮名所図会》《金毘羅参詣名所図会》《二十四輩名所図会》のほか,ひいては《唐土名勝図会》などというものまでも出版され,また,地誌とは離れた《山海名産図会》その他のものまで作られるにいたった。名所図会の流行は文化年間(1804‐18)に及び,さらにその後京坂以外の土地でも,《江戸名所図会》《尾張名所図会》などその内容にいっそうの整備を志したいくつかの図会が作られた。なかでも天保年間(1830‐44)に刊行された《江戸名所図会》などは,斎藤長秋,莞斎,月岑(げつしん)と3代30年余を経てようやく完成をみたもので,挿絵は長谷川雪旦の手に成り,〈名所図会〉中の第一の傑作に推されている。…
※「江戸名所図会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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