日本大百科全書(ニッポニカ) 「鍾嶸」の意味・わかりやすい解説
鍾嶸
しょうこう
(469?―518?)
中国、梁(りょう)の文人。字(あざな)は仲偉(ちゅうい)。潁川(えいせん)長社(河南省長葛(ちょうかつ)県)の人。斉(せい)の永明年間(483~493)に国子生となり、国士祭酒の王倹(おうけん)にその才能を愛された。とくに『周易』に精通し、文章にも長じていたという。斉の明帝の建武(494~497)初年に南康王侍郎(じろう)となり、その後、司徒行参軍(しとこうさんぐん)等を経て、斉の晋安(しんあん)王(後の簡文帝)の記室参軍となったが、まもなく没した。漢より梁初までの詩人122人の詩を上・中・下の三品に格づけして論評を加えた著書『詩品(しひん)』3巻は、劉勰(りゅうきょう)の『文心雕竜(ぶんしんちょうりょう)』とともに中国文学評論史上、重要な位置を占めている。
[根岸政子]