ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「簡文帝」の意味・わかりやすい解説
簡文帝
かんぶんてい
Jian-wen-di
[没]天正1(551)
中国,六朝時代の梁の第2代皇帝太宗。姓名,蕭綱。字,世纉 (せいさん) 。武帝の第3子で,『文選』の編者昭明太子の弟。昭明太子の死後皇太子となり,反乱によって武帝を憤死させた侯景に迎えられて即位 (549) したが,やがてみずから帝位をうかがう侯景に殺害された。中国歴代の帝王のなかでも文才に富む点では屈指の存在で,6歳で文をつくって武帝を驚かせた。長じてのちもそのサロンに徐陵,庾信 (ゆしん) ら多くの文学者を集め,またみずからも兄の昭明太子,弟の湘東王らと詩文を競作して楽しんだ。その詩はもっぱら男女の恋情をうたった艶麗なもので「宮体」と呼ばれて一世を風靡するとともに,のち唐の近体詩成立の基礎ともなった。 (→玉台新詠 )
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