鎌田栄吉(読み)カマダ エイキチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鎌田栄吉」の解説

鎌田 栄吉
カマダ エイキチ


肩書
枢密顧問官,慶応義塾塾長

生年月日
安政4年1月(1857年)

出身地
和歌山県

学歴
慶応義塾卒

経歴
和歌山藩校、同白修学校を経て明治7年慶応義塾に入り、卒業後母校教諭。その後帰郷、白修学校校長を経て再び慶応教諭。14年鹿児島造士館教頭、さらに母校に帰った。19年内務省御用掛、県治局、大分中学校長、同師範学校長を経て、27年和歌山から衆院議員当選。30年欧米巡遊、32年帰国して慶応義塾長。高等教育会議議員、教育調査会委員を務め、39年勅選貴院議員。大正8年ワシントン第1回国際労働会議政府代表、11年加藤友三郎内閣文相、昭和2年枢密顧問官。

没年月日
昭和9年2月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「鎌田栄吉」の解説

鎌田 栄吉
カマタ エイキチ

明治・大正期の教育家,政治家 枢密顧問官;慶応義塾塾長。



生年
安政4年1月21日(1857年)

没年
昭和9(1934)年2月6日

出身地
和歌山県

学歴〔年〕
慶応義塾卒

経歴
和歌山藩校、同白修学校を経て明治7年慶応義塾に入り、卒業後母校教諭。その後帰郷、白修学校校長を経て再び慶応教諭。14年鹿児島造士館教頭、さらに母校に帰った。19年内務省御用掛、県治局、大分中学校長、同師範学校長を経て、27年和歌山から衆院議員当選。30年欧米巡遊、32年帰国して慶応義塾長。高等教育会議議員、教育調査会委員を務め、39年勅選貴院議員。大正8年ワシントン第1回国際労働会議政府代表、11年加藤友三郎内閣文相、昭和2年枢密顧問官。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鎌田栄吉」の解説

鎌田栄吉 かまた-えいきち

1857-1934 明治-昭和時代前期の教育者,政治家。
安政4年1月21日生まれ。大分師範校長などをへて母校慶応義塾の教授となり,明治31-大正11年塾長。この間,明治27年衆議院議員,39年貴族院議員。大正8年第1回国際労働会議政府代表。11年加藤友三郎内閣の文相。枢密顧問官。昭和9年2月6日死去。78歳。紀伊(きい)和歌山出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鎌田栄吉」の解説

鎌田 栄吉 (かまた えいきち)

生年月日:1857年1月21日
明治時代;大正時代の教育家;政治家。慶応義塾塾長
1934年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android