鏡島湊
かがしまみなと
長良川左岸に位置し、対岸は河渡湊。当地付近は長良川の流路が安定するところであったうえ、後背地として岐阜町・加納町をもち、中山道の渡河地点でもあったことから、荷船の最終着岸所として繁栄した。文禄元年(一五九二)織田秀信は「湊新町」の造立を定め、牢人を招き寄せるにあたり、その自由を保証し(天正二〇年一二月一〇日「織田信秀判物」馬淵鈴之助氏所蔵文書)、同年一二月一四日には遡上荷船の当湊以外の着岸を禁じ、湊町の諸役一切を免除している(「織田秀信禁制」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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