長南郡
ちようなんぐん
「和名抄」に記す長柄郡が平安末期に南北に解体して成立した郡。庁南とも書き、延徳二年(一四九〇)二月一六日の年紀をもつ長南町長福寿寺蔵木造慈恵大師坐像の胎内墨書銘には長南郷とある。上総氏一族の長南氏の開発所領と思われ、治承四年(一一八〇)源頼朝の挙兵に際し、上総権介広常は庁南(長南郡)を含む上総国内の武士団を率いてこれに参向しており(「吾妻鏡」九月一九日条)、このなかに長南太郎重常があった(「源平闘諍録」巻五)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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