日本歴史地名大系 「長尾坂」の解説
長尾坂
ながおざか
応永二五年四月、熊野社領田辺庄に対する守護畠山氏の侵犯から、熊野衆徒が神輿を動座、守護方と戦闘状態に入るが、「看聞御記」同月二四日条に「抑聞、熊野神輿奉振、紀伊国田那辺ニ発向、守護畠山右衛門督入道於此所防戦、然間田那辺ニ神輿振棄、熊野勢二里許引退、守護勢乗勝追懸、於山中嶮岨熊野勢返合責戦之間、守護打負、(中略)於山中被討侍名字七十余人、其外雑兵不知数云々、河内勢若干被討了、紀伊国人裏返守護打負云々」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報