日本歴史地名大系 「長瀬村」の解説
長瀬村
ながせむら
天神川の河口右岸に位置し、北東は
藩政期の拝領高一千五四八石余。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)によれば高一千九一五石余、うち畑高二〇一石余(うち大豆免九四石余)。免五ツ八分、橋津御蔵納。悪田加損米一〇石。海役銀三〇匁・川役銀五五匁。棟数二九軒・役高五八〇人。産土神一宝大明神、一向宗
長瀬村
ながせむら
- 岐阜県:多治見市
- 長瀬村
虎渓山一帯にあり、東から南へ土岐川が大きく湾曲して流れる。土岐川の南は多治見村。東端を
中世には
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
- 三重県:名張市
- 長瀬村
名張郡の東南端、
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
- 和歌山県:田辺市
- 長瀬村
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
- 大分県:佐伯市
- 長瀬村
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
南東流する
長瀬村
ながせむら
肥前刀「肥前忠吉」の刀鍛冶は慶長年間(一五九六―一六一五)に城下の長瀬町に移住する以前この村に住んでいたと伝えられ、城下の長瀬町の町名もこの村名に由来するといわれる。忠吉系統の刀鍛冶は弘安年間(一二七八―八八)に長瀬村に住んだといわれ、古くは朝鮮半島からの渡来者で太宰府に住んでいたとも伝えられる。
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
長瀬村
ながせむら
- 長崎県:北高来郡
- 長瀬村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報