改訂新版 世界大百科事典 「長島荘」の意味・わかりやすい解説
長島荘 (ながしまのしょう)
肥前国杵島郡(現,佐賀県武雄市)に設定されていた京都蓮華王院領の荘園。荘域中央部に郡の惣鎮守武雄神社が鎮座し,この地方の開発も同社によって行われ,951年(天暦5)の武雄社領四至実検状に〈東限 長嶋大路鎮祭隈〉と見える。立券荘号の時期は不明であるが,武雄市の旧北方町勧喜寺所蔵の薬師如来像の背銘に〈長嶋庄 医王寺 承安弐年十月〉と見え,承安2年(1172)10月以前に成立していたことがわかる。蓮華王院は1164年(長寛2)平清盛によって造営されているので,同時期に寄進されたものと考えられる。1292年(正応5)河上宮造営用途支配惣田数注文によれば,〈長嶋庄 一千五百十七丁〉とあり,1590年(天正18)豊臣秀吉朱印状には〈一,参千三百七拾九石弐斗 きしま郡内長嶋庄〉と見える。鎌倉時代惣地頭に中原季時,上村地頭に橘薩摩氏が補任された。1299年(正安1)に領家と地頭橘薩摩氏による高瀬山田畠山野等の中分が行われている。南北朝時代以後は蓮華王院の支配もほとんど不知行の状態に置かれたが,長島荘の名称は戦国時代まで残存。
執筆者:瀬野 精一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報