長府後地(読み)ちようふうしろじ

日本歴史地名大系 「長府後地」の解説

長府後地
ちようふうしろじ

長府の農村地域で現下関市の南東部にあたり、北および西は標高二〇〇―三〇〇メートルの丘陵で囲まれる。

長府の町部は近世後期には府町ふまちとして分離独立し(豊浦藩明細書)、そのほかの地域が長府後地(豊浦後地)と称される農村部となった(郷村高帳など)

慶長一五年(一六一〇)検地帳によれば長府地域は「府中」とされ、元禄一二年(一六九九)郷帳や「地下上申」でも町方を含む長府全体が「長府村」と記され、幕末の豊浦藩明細書で初めて町部分のみが「府町」として単独記載される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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