長田庄・他田庄(読み)ながたのしよう・おさだのしよう

日本歴史地名大系 「長田庄・他田庄」の解説

長田庄・他田庄
ながたのしよう・おさだのしよう

平安期と考えられる長田庄坪付注文(東大寺文書)に「長田庄内、在十市郡東廿三条六里卅一坪五段、廿四条六里廿一坪五段、同条里廿五坪六段、卅六坪一町、已上二町六段雑役免、廿五条四里廿二坪一町、廿三坪一町、同条五里廿九坪三反西、已上二町三段者梵□□(福寺カ)相論(所カ)也」とあり、長田庄は東大寺雑役免田(庄)と考えられる。梵福ぼんぷく(未詳)田が不輸租田としてそのうちにあり、相論があったことがうかがえる。所在は坪付から大字戒重かいじゆう(二三条六里)橿原かしはら膳夫かしわて(二五条四里)辺りに比定される。

元応二年(一三二〇)の大仏殿仏餉懸札(東大寺要録)には、

<資料は省略されています>

とあり、大仏殿仏餉の白米免田も設定されていたことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報