奈良県北西部、奈良盆地南部にある都市。1956年(昭和31)八木(やぎ)、畝傍(うねび)、今井(いまい)の3町と鴨公(かもきみ)、真菅(ますげ)、耳成(みみなし)の3村が合併、市制施行して橿原市となった。同年金橋(かなはし)、新沢(しんざわ)の2村を編入。市域の大部分は平地で、南東部になだらかな丘陵地が続く。中央部を『万葉集』に名高い飛鳥(あすか)川、西部を曽我(そが)川が流れ、大和三山(やまとさんざん)の天香久山(あめのかぐやま)、耳成山、畝傍山に囲まれる。「橿原」は記紀にみえ、大伴家持(おおとものやかもち)や柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)に詠まれる古地名で、畝傍山南東麓(ろく)の微高地一帯をさす。市内には縄文時代の橿原遺跡、特別史跡の藤原宮跡・本薬師寺跡、国史跡の菖蒲池(しょうぶいけ)・丸山・新沢千塚(にいざわせんづか)などの古墳、神武(じんむ)天皇を祀(まつ)る橿原神宮、神武・綏靖(すいぜい)・安寧(あんねい)・懿徳(いとく)・孝元(こうげん)・宣化(せんか)の各天皇陵に指定される古墳などの旧跡が多く、6~7世紀の古代国家成立期の政治、文化の中心地であったことを物語る。また、古代の交通路として重要な下津道(しもつみち)や横大路(よこおおじ)の跡も残っている。なお、2005年(平成17)には大和三山が国の名勝に指定されている。
市の中央部を国道24号、165号、166号、169号が走り、JR桜井線、近畿日本鉄道の橿原線、大阪線、南大阪線、吉野線が縦横に通ずる交通の要所であり、近年大阪市の衛星住宅都市的性格を強めている。中心は八木、今井、畝傍地区で、八木は中街道(古代下津道)と初瀬(はせ)街道(横大路)の交差点に発達した商業、行政地区、今井は称念寺を中心に発達した寺内(じない)町で、商業の町としても栄えた地区、畝傍は飛鳥古文化地帯の基地ともいえる観光地区である。1993年(平成5)に今井町が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。かつて沖積地に発達した農業は、年々農家数は減少しているが、野菜、イチゴ栽培、鉢花作りなど近郊農業が行われている。また、メリヤス、売薬、衛生綿などの産出もある。主要施設としては県立橿原考古学研究所附属博物館、県立医科大学および附属病院、農業技術センター、県立橿原公苑陸上競技場などがある。1962年建国文化都市を宣言した。面積39.56平方キロメートル、人口12万0922(2020)。
[菊地一郎]
『『橿原市史』(1962・橿原市)』▽『『橿原市史 改訂版』全2巻(1986、1987・橿原市)』
「日本書紀」神武紀に「山林を披き払ひ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県北部の市。1956年畝傍(うねび),八木,今井の3町と鴨公(かもきみ),真菅,耳成(みみなし)の3村が合体,市制。大阪のベッドタウンとして人口が急増しており,12万5605(2010)は県下第2位である。市域の中・北部は奈良盆地の南端にあたる。日本の古代文化の一中心地で,大和三山として親しまれる耳成山,天香久(あまのかぐ)山,畝傍山があるのをはじめ,橿原遺跡,新沢(にいざわ)遺跡,丸山古墳,藤原宮(ふじわらのみや)跡,多数の陵墓など古代史跡が多い。商業の中心地である八木は,古くから交通の要地として発達し,近鉄大阪線と橿原線が交差するほか,JR桜井線と国道24号線が通る。飛鳥川を隔てて八木に対する今井は,かつて称念寺を中心とする寺内町として栄え,古い町並みをよく残している。畝傍山南麓の橿原神宮は参詣者が多く,神宮周辺には森林遊園,運動場,体育館,考古博物館などがあり,奈良盆地南部の文化,レクリエーションのセンターをなしている。
執筆者:橋本 征治
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