長町六丁目(読み)ながまちろくちようめ

日本歴史地名大系 「長町六丁目」の解説

長町六丁目
ながまちろくちようめ

[現在地名]浪速区日本橋につぽんばし三―四丁目

日本橋五丁目(現南区)の南に続く両側町。古くはながたに町と称したが、延宝八年(一六八〇)長町六丁目と改称(大坂町之内町名替り候写など)。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳によると屋敷数四六・役数五一役で、うち年寄分一役が無役。年寄は岩田屋安兵衛。同一六年当時は茶屋・旅籠屋・煮売御免地で(「伏見坂町一件」成舞家文書)、享保一三年(一七二八)茶屋の権利を本堺もとさかい町・本京橋もときようばし町・本相生もとあいおい(現南区)に譲渡した(「茶屋町ニ相成候願一件」大阪市立大学蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む