日本歴史地名大系 「長野堰」の解説 長野堰ながのぜき 群馬県:高崎市長野堰長野堰の本堰は群馬郡本郷(ほんごう)(現榛名町)において烏(からす)川より取水し、西新波(にしあらなみ)・我峰(わがみね)・菊地(きくじ)より上小塙(かみこばな)・下小塙境から筑縄(つくなわ)境を経て、上並榎(かみなみえ)・下並榎境を東に流れ、飯塚(いいづか)字大橋(おおはし)・字向請地(むこううけち)と赤坂(あかさか)字台原(だいはら)・字前請地(まえうけち)の境を東に流れ、江木(えぎ)を経て岩押(いわおし)で終わる。ここから分流して小堰となり、烏川・井野(いの)川に合流する。一千年余以前長野康業が上野国守に任ぜられ、群馬郡浜川(はまがわ)村に居住した時に開いたと伝えるが(「長野堰史」ほか)、確かではない。近世には群馬郡高崎藩領の穀倉地帯を潤す重要な堰となった。本流は四里余(約一六キロ)もあり、高崎、倉賀野(くらがの)ほか七村を潤し、灌漑の受益水田は一千六六〇余町(一千二二九ヘクタール)に及ぶ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by