関岡村(読み)せきおかむら

日本歴史地名大系 「関岡村」の解説

関岡村
せきおかむら

[現在地名]矢祭町関岡

東舘ひがしだて村の西、久慈くじ川西岸の丘陵に立地。植田うえだ(現塙町)で水戸街道から分れ、久慈川沿いに常陸下野宮しものみや(現茨城県大子町)に通じる依上よりかみ道が通る。字まちに縄文時代の遺跡がある。また字たきさわに佐竹氏の家臣秋山七郎忠次がいたといういし(秋山館)跡、字町に中村大学正則がいたという関岡館跡がある(「白河古事考」ほか)

正保郷帳に村名がみえ高四八一石余、うち田一八四石余・畑二九七石余。元禄郷帳では高二六八石余、枝郷の飯野いいの村の高三一石、天神沢てんじんざわ村の高一〇五石、江戸塚えどづか村の高五〇石、小坂おさか村の高四八石、しば村の高三〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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