日本歴史地名大系 「東白川郡」の解説 東白川郡ひがししらかわぐん 面積:七八四・四一平方キロ棚倉(たなぐら)町・塙(はなわ)町・矢祭(やまつり)町・鮫川(さめがわ)村・古殿(ふるどの)町明治一二年(一八七九)郡区町村編制法の施行に伴い白川郡が改称した郡。白川郡は元禄郷帳提出時ないしはその頃までに高野(たかの)郡が改称したもので、高野郡は一〇世紀初頭に白河郡から割置されたと推定されている。高野郡成立時には白河郡一七郷(「和名抄」東急本)のうち、高野郷・入野(いの)郷・常世(とこよ)郷・依上(よりかみ)郷で構成されたと考えられているが、以後中世末期までには郡域にはいくらか変動があったとみられている。しかし江戸時代に入って固定し、正保郷帳の高野郡と元禄郷帳・天保郷帳の白川郡は領域は同じである。東白川郡は中通りの南端に位置し、南は茨城県久慈(くじ)郡大子(だいご)町・同郡里美(さとみ)村と高萩市・北茨城市、東はいわき市、北は石川郡平田(ひらた)村・石川町・浅川(あさかわ)町と西白河郡東(ひがし)村、西は西白河郡表郷(おもてごう)村と栃木県那須(なす)郡那須町・同郡黒羽(くろばね)町、大子町。西部は八溝(やみぞ)山地、東部は阿武隈高地西縁の山麓地帯。八溝山地を源として北東流する久慈川が、棚倉町棚倉付近で南に転じ、西岸で八溝川、東岸で川上(かわかみ)川など支流を合せ中央部を南流、その流域に平野が開けている。高原地帯だが気候は温暖で、冬季でも積雪は少ない。中央平野部をJR水郡線が縦走、同線沿いに国道一一八号(一部は旧水戸街道)、里美村から阿武隈高地を通り平田村へ抜ける国道三四九号が走る。表郷村から棚倉町を通りいわき市に至る国道二八九号(一部は旧棚倉街道)が交差する。近世には塙村(現塙町)と平潟(ひらかた)湊(現北茨城市)を結ぶ平潟街道、須賀川宿と湯本(ゆもと)村(現いわき市)を結ぶ御斎所(ごさいしよ)街道が竹貫(たかぬき)村(現古殿町)を通っていた。〔原始・古代〕矢祭町小田川の大高平(おだがわのおおたかだいら)遺跡は縄文時代早期・中期と弥生時代終末期の複合遺跡である。大量に出土した弥生土器は北関東を中心に分布する十王台式土器が主体で、この遺跡地は関東地方の文化圏に入っていた。棚倉町棚倉の崖(がけ)ノ上(うえ)遺跡は縄文時代晩期を主体とするが、この遺跡中の一ヵ所から一四―一五個の弥生土器がまとまって出土した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by