関所山城跡(読み)せきしよやまじようあと

日本歴史地名大系 「関所山城跡」の解説

関所山城跡
せきしよやまじようあと

[現在地名]岩国市山手町四丁目

錦見にしみ村と今津いまづ村の境界上、にしき川に臨む小丘上にあった。「享保増補村記」も「玖珂郡志」も錦見村に記すが、現在は今津地区内に属する。

「玖珂郡志」に「関所山、享保村記ニハ錦見・今津・室木境センダチノ岡ヨリ三割ト有之、巌邑志ニハ柳原ノ下、今津境ト記テ錦見部ニ入、今従之、此山ヲ城山ト云、毛利ノ将桂兵部少輔居城也、九州立花陣ノ時、当国ノ人質ヲ集メ在番セシト也、段々矢根等モ出、瓦等今ニ在之、(中略)山高サ二十間、磐国府志ニ云、永禄年中、山代ノ一揆蜂起シテ、関所山ヘ攻メ来リケルニ、兵部少輔謀計ヲ廻ラシ追払ケルト、古記ニ見ヘタリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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