日本歴史地名大系 「今津村」の解説
今津村
いまづむら
- 兵庫県:西宮市
- 今津村
近世には村北部を横断する中国街道によって北組と南組とに分れ、北組は上今津とも称し街道沿いに集落を形成、下今津ともいわれる南組は酒造業・海運業などにより浜のほうへ発展していった。南組を
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
琵琶湖に面し、西近江路に沿い、ここから
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
- 山口県:岩国市
- 今津村
寛永二〇年(一六四三)に岩国庄を分割してできた村であるが、今津の名は、岩国藩の城下町ができた慶長六年(一六〇一)頃までさかのぼると考えられる。
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
- 岡山県:高梁市
- 今津村
寛永備中国絵図に村名がみえ、高一六二石余、松山藩領(以後の領主の変遷は松山西村に同じ)。
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
- 大分県:中津市
- 今津村
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
- 京都府:亀岡市
- 今津村
東に
天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば高八五・〇七七石、戸数二四、亀山藩領。農作は五穀のほか綿などを産した。
寛永二年(一六二五)馬路村の人見久兵衛が当地辺りの荒廃地の開拓を企て、人見太郎兵衛・中川治郎左衛門・人見彦之丞・中川加兵衛・人見伝助らと計り、代官五味金右衛門に請願し、その許状を得て新田を開発した。その時の許状(人見家文書)は次のようなものであった。
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
- 香川県:丸亀市
- 今津村
今津村
いまづむら
今津村
いまづむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報