関田義臣(読み)セキタ ヨシオミ

20世紀日本人名事典 「関田義臣」の解説

関田 義臣
セキタ ヨシオミ

大正・昭和期の行政家 矢持村(三重県)村長



生年
明治15(1882)年5月19日

没年
昭和53(1978)年5月18日

出身地
三重県

旧姓(旧名)
奥永

経歴
大正6年三重県矢持村(現・青山町)村長となる。奥鹿野地区の改善に努め、全地区民を対象に“活郷教育”を展開。三重県町村長会会長、全国町村長会副会長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関田義臣」の解説

関田義臣 せきた-よしおみ

1882-1978 大正-昭和時代の村長。
明治15年5月19日生まれ。大正6年三重県名賀郡矢持村(青山町)の村長となる。奥鹿野地区の改善につとめ,全地区民を対象に「活郷教育」を展開する。三重県町村長会会長,全国町村長会副会長などをつとめた。昭和53年5月18日死去。95歳。三重県出身。旧姓は奥永。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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