関白村(読み)かんぱくむら

日本歴史地名大系 「関白村」の解説

関白村
かんぱくむら

[現在地名]上河内村関白

冬室ふゆむろ村の東、山田やまだ川左岸に位置する。今里いまざと村の枝郷、古くは今里郷地内武内たけうちと称したという。関白様石塔といわれる永和(一三七五―七九)銘の古碑がある。近世は初め宇都宮藩領、慶長六年(一六〇一)家臣奥平定雄の給地となり、寛永一一年(一六三四)再び蔵入に復し、貞享二年(一六八五)から元禄一〇年(一六九七)まで桑名勝乗給地(「家中系図」奥平家文書)、同年より再び蔵入となる。寛延二年(一七四九)下総佐倉藩領、明和元年(一七六四)再び宇都宮藩領となり幕末に至る。元禄郷帳の高二七七石余。寛延三年の今里村明細帳(笹沼修文書)には「関白村之義、先規当村端郷ニ御座候処、松平下総守様御代より関白村庄屋立置申候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む