日本歴史地名大系 「上河内村」の解説
上河内村
かみごうちむら
嘉禎四年(一二三八)四月一七日付の伊都岐島社廻廊員数注進状案(新出厳島文書)に「自大宮御方南脇至于御供屋三十間、未被立分、(中略)石道未進一間、保井田 川内 寺田一間、(中略)已上二十五間、御社領内御支配分」とあり、「川内」とみえるのが当地であると考えられる。「房顕覚書」天文一〇年(一五四一)一二月二二日の記事に「神主ニ相副ラルヽ神領衆、惣公文、政所、大野兵部丞、野坂左衛門大夫、熊野玄蕃允、高井、松丸、西カウチ、坪井、三宅、其外桜尾ノ小近習共取集三四十人
上河内村
かみごうちむら
下河内村の東に位置し、旭川支流の
正保郷帳では田高八五二石余・畑高八八二石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳によると村位は中、改出高五八一石余・開高七九石余。「作陽誌」では東谷上村は家数四八・人数二三二、東谷下村は家数二九・人数一四九、西谷村は家数三五・人数一七五、中村は家数六三・人数三三八、下村は家数八七・人数一八五、下村東免分は民家なし。
上河内村
かみかわうちむら
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に上川内村とあり、正保三年(一六四六)の出羽国油利郡之内知行高帳(秋田県庁蔵)に「上川内
上河内村
かみこうちむら
上河内村
かみごうちむら
上河内村
かみかわちむら
下河内村の南にあり、東・西・南は
上河内村
かみかわちむら
上河内村
かみがわちむら
上河内村
かみこうちむら
上河内村
かみがちむら
上河内村
かみかわちむら
上河内村
うえのかわちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報