関行丸古墳(読み)せきぎようまるこふん

日本歴史地名大系 「関行丸古墳」の解説

関行丸古墳
せきぎようまるこふん

[現在地名]佐賀市久保泉町大字川久保字神上

標高一〇五五・二メートルの背振せふり山を主峰とする背振山地の南麓、標高四〇メートル余りの微高段丘上に位置する。西側には巨勢こせ川の上流が南下し、川に沿って妙楽寺みようらくじの谷が西北方へと延びる。

この古墳の所在地は俗に関行と称されている。川久保かわくぼの地に鎮座する白鬚しらひげ神社に奉仕した一九家を「丸持まるもちの家」と称し、今日なおその遺称地が残るが、関行丸もその一で、現在関行と称されているのは、かつての関行丸のなごりと考えられる。古墳はかつては所在地の字名をもって神上かみあげ古墳とよんでいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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