阿田和本城跡(読み)あたわほんじようあと

日本歴史地名大系 「阿田和本城跡」の解説

阿田和本城跡
あたわほんじようあと

[現在地名]御浜町阿田和

尾呂志おろし街道の入口、阿田和神社の北にあり、現在蜜柑園となり城域は不詳である。往時北側に堀があったといわれる。元亨元年(一三二一)阿田和荘司塩田行慶が当庄を領し、天文一九年(一五五〇)新宮・有馬合戦が始まったとき塩田行義は新宮堀内氏につき、同二一年近郷の有馬・尾呂志・竹原氏らと合戦し、行義は敗れて鵜殿うどのの奥で禰宜となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 鵜殿 ウド 背後

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む