阿田和本城跡(読み)あたわほんじようあと

日本歴史地名大系 「阿田和本城跡」の解説

阿田和本城跡
あたわほんじようあと

[現在地名]御浜町阿田和

尾呂志おろし街道の入口、阿田和神社の北にあり、現在蜜柑園となり城域は不詳である。往時北側に堀があったといわれる。元亨元年(一三二一)阿田和荘司塩田行慶が当庄を領し、天文一九年(一五五〇)新宮・有馬合戦が始まったとき塩田行義は新宮堀内氏につき、同二一年近郷の有馬・尾呂志・竹原氏らと合戦し、行義は敗れて鵜殿うどのの奥で禰宜となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 鵜殿 ウド 背後

目次 飼養文化  北アメリカ  北方ユーラシア偶蹄目シカ科の哺乳類。北アメリカでは野生種はカリブーcaribouと呼ばれる。角が雄だけでなく雌にもふつうある。体長130~220cm,尾長7~20cm,...

トナカイの用語解説を読む