改訂新版 世界大百科事典 「阿部守太郎暗殺事件」の意味・わかりやすい解説
阿部守太郎暗殺事件 (あべもりたろうあんさつじけん)
外務省政務局長阿部守太郎が1913年対中国強硬論者に暗殺された事件。阿部守太郎は清国在勤4年余をへて,1912年政務局長に就任。その政策は,満蒙への領土的野心を排し,中国での経済的利権の拡張につとめること,また陸軍の外交干渉を排して外務省による外交一元化を実現しようとするものであった。しかし翌13年夏の中国第二革命に際しては,陸軍の策謀もあって兗州(えんしゆう)事件,漢口事件,南京事件など日中衝突事件が発生し,政府の処置が軟弱であるとの批難が陸軍,野党,大陸浪人の間に高まった。そのため9月5日,大陸浪人岩田愛之助の影響をうけた岡田満,宮本千代吉の2青年は阿部局長を自邸門前で殺害した。斬奸状では阿部局長の満蒙問題への消極策と袁世凱援助策を攻撃している。犯行後,岡田は割腹自殺し,宮本,岩田は逮捕のうえ無期懲役に処せられた。この事件を契機に対華強硬策を唱える排外熱は急速に高まった。
執筆者:由井 正臣
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