日本歴史地名大系 「阿野田城跡」の解説 阿野田城跡あのだじようあと 三重県:亀山市阿野田村阿野田城跡[現在地名]亀山市阿野田町 上野垣内蓮光(れんこう)寺北側の台地北端にあり、北側と西側は急崖で、台地の西・北東・南東にそれぞれ土塁の一部が残る。栖原(すみはら)城ともいい、字栖原野(すみはらの)にあった。豊田氏累代の居城で、文安年中(一四四四―四九)海善寺(かいぜんじ)村に砦を築いた平田氏としばしば兵を交えたという(亀山地方郷土史)。豊田越後守は関盛信の与力に数えられる(五鈴遺響)。「関家之名誉」と賞された天正一二年(一五八四)の亀山合戦では豊田新右衛門尉の名がみえ、神戸与五郎の兵を撃退するのに功があった(勢州軍記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報