日本歴史地名大系 「雄城村」の解説 雄城村おぎむら 大分県:大分市旧大分町地区雄城村[現在地名]大分市玉沢(たまざわ)雄城・雄城(おぎ)の台団地(だいだんち)七瀬(ななせ)川の左岸丘陵の雄城山(雄城台)にある。西は市(いち)村、南は粟野(あわの)村・桑本(くわもと)村。東の下宗方(しもむなかた)村から肥後街道が続き市村に向かう。八月一三日の賀来(かく)社(現柞原八幡宮)大宮司宛大友義鑑書状(大友松野文書)に、雄城台近辺の大宮司領内山野雉法度のことがみえる。義鑑の加判衆雄城治景一族の名字の地。正保郷帳に村名がみえ田高一九〇石余・畑高三二石余、早田(わさだ)庄に所属。領主の変遷は宮崎(みやざき)村に同じで、明治二年(一八六九)の竈数三三・人数一四五(「竈数石高人別調帳」内藤家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by